「鑑賞のための西洋美術史入門」という本
西洋美術史入門という本を見つけて、細かいところはさておいて、流し読みした。
Amazon.co.jp: 鑑賞のための西洋美術史入門 (リトルキュレーターシリーズ): 早坂 優子: 本
ページをめくると、イラストが描かれていたりカラフルな説明があったり、全体的なデザインが子供向けなのかしら?といったものだったが、内容はそれなりに濃いらしく、僕らが生れれる遥か昔、紀元前とかそういう時代の”ギリシャ美術”から、現代美術に至るまでの内容が、系統的にまとめられていてとても面白かった。あとで細かいところをもっと読みたい。
こうして年代とからめてまとめられた本を読むと全体的な流れがわかって面白い。
遥か昔、ギリシャの時代に、アルカイックスマイルでしか"生"を表現できなかった芸術が、
(アナヴュソスのクロース 紀元前520年ごろ)
像にポーズをとらせて表現の幅を広げたりして、
(ミロのヴィーナス 紀元前100年ごろ)
そこから宗教とか戦争とかそういうものを背景にして発達したり、ルネサンスがあったり色んな経緯を経て、
(一文で済ますにはあまりにも雑すぎるくらい本当に”色々”とあるけど…)
(レオナルド・ダヴィンチ 最後の晩餐 1495-98年)
レアリスム(写実主義)なんかが生れた。
(ミレー 落ち穂拾い 1857年)
この写実的な絵から、さらなる表現を目指して、印象派と呼ばれるものができた。
僕の好きなモネなんかはこの時代なのですな。
(モネ 印象、日の出 1873年)
ルノワールは今東京で「ルノワール展」やってるみたいなので、見に行きたいですね。
(ルノワール ムーラン・ド・ラ・ギャレット 1876年)
こんな流れのなかでセザンヌは、「別に、画家は動いてもよくね?」といって※、
果物はこちらの角度から、壺は少し上から観た角度で、といった表現をした。
(※本当に言ったわけじゃなく)
(セザンヌ 果物籠のある静物 1888~90年ごろ)
こういう流れの中で、その前後にもたぶん色々あって、ピカソでお馴染みのキュビズムなんてものも生まれた。
(ピカソ オルタ・デ・エブロの工場 1909年)
そんなこんなで20世紀になると、こんな作品が生まれる。
(デュシャン 泉 1917年)
パッと見た感想として、「ん?トイレかな?」といった感じだが、まさにこれは”トイレ”でしかなく、市販のトイレにサインを描いただけのモノである。
ダダイズムというらしいけど、これまでの美術の常識をそっくり否定した美術作品(当時の展覧会では、これは作品として認められなかったらしいけど)が生れ、
さらには市販のスープ缶を描いて並べただけのアートなんかが生れる。
(アンディ・ウォーホル 32個のキャンベルのスープ缶 1962年)
たぶんほとんどの人たちにとって、現代芸術はあまりにも突拍子もなく思えるのだろうけど、こうして系統的に見てみると、結局は歴史の流れとして(ある意味当然として)生まれた変化なのだな、などと思う。例えば印象派が生れる頃の人々にとって、印象派が突拍子もなかったように、現代アートは現代人にとって突拍子もないのである。逆を言えば、これもまたいつか、ごくごく自然なものとしてとらえられるようになるんだろうな、などと思う。
僕自身、ちゃんと美術を勉強してきたわけではないので、上記の説明が適切かどうかわからないけど、とりあえずこの記事はこの辺にして、個人的な考えとか、思うこととかを次の記事に書きたいと思います。
世界から取り残される
名前の知らない花の香りが
住宅街。夜道を歩いていると、やけに甘い香りがした。
気のせいだと思っていたらまたその甘い香りがしてきて、ふと脇に目をやると、塀一面に見慣れない花が咲いていた。
無数の小さくて白とか黄色の花が咲いていて、惜しげもなく香りを放っていた。
この花の名前を、通りかかる人のうち、何人くらいが知っているのだろう。
4月も終わりが近づいて、ソメイヨシノはとうの昔に散ってしまったけれど、僕が知らないだけで、世界は回り続けている
のかもしれない。