無題
「ありとあらゆる無駄の積み重ねの中で、泣いたり笑ったり一喜一憂しながら生きていくこと」
スピッツ草野マサムネさんの使用ギター
「SPITZ JAMBOREE TOUR 2016 “醒 め な い”」で、草野マサムネさんが使用していたこの↓ギター
(画像はhttps://www.youtube.com/watch?v=kM2FGM9UXuEより)
SGシェイプでヘッドのロゴの頭文字が”G”っぽいけどギブソンではないよなぁ…?と思い、初めわからなかったのですが、
「Crews Maniac Sound」という国内メーカーのギターでした。
(画像はCrews Maniac Sound KTR SG-02より)
ただ、具体的な型がわかりませんでした…
ご存知の方がいらっしゃいましたらご一報ください。
ちなみに、醒めないのライブ映像はこちら↓
スピッツ「醒めない」(DVD&Blu-ray『SPITZ JAMBOREE TOUR 2016 “醒 め な い”』より)
いいですね~。
言いたいことがあるときに限って
言いたいことがあるときに限って,口をつぐんでしまう.
どうでもいいことを話しているときのほうがかえって苦労も少ない.
僕がなにを言い,どういう結論になろうが(少なくとも僕にとっては)構わないし,
そういう場合は,耳から入力される”文”に対して,文脈さえ繋がっていれば問題ないような"文"を出力すればいい.
僕は入力に対して,適当な出力をする,極めて単純なシステムになればいい.
でも,本当に言いたいこととか考えていることがあるような話題の場合,自分の中にある,2次元画像でも立体でも,文章でもない抽象的な”何か”を見つけ出し,言語化して,それを会話の中に適切な形で書き起こして出力しなければならない.
一言で言えば口下手だし,結果的に”なにも考えてないヤツ”であるのがぼくである.
まぁ,本当は本当に,なにも考えていないという説もあるけど.
オーギュスト・ルノワールに会ってきた。
先日、国立新美術館で開催している、ルノワール展に行ってきました。
【会期】2016年4月27日(水)– 8月22日(月)
【休館日】毎週火曜日 *ただし5月3日(火・祝)、8月16日(火)は開館【開館時間】10時−18時
金曜日、8月6日(土)、13日(土)、20日(土)は20時まで *入場は閉館の30分前まで
国立新美術館は六本木駅からちょっと歩いたところにあります(乃木坂駅のほうが近い説)。
ルノワール(1841-1919年)はフランスの印象派の画家です。
印象派の絵というのは、こんな感じの絵で、
オーギュスト・ルノワール/シャンロゼーのセーヌ川 1876年
輪郭もはっきりしていなくて、文字通り”印象”を表現するような絵です(凄まじくざっくりな説明…)。
そんな印象派の時代を生きたルノワールなのですが、特徴としてまず挙げられるのが、ルノワール自ら「私は人物画家だ!」と自負するほど肖像画家であったことです。
例えば(公式HPによると)次の作品が目玉らしいです。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会 1876年
サイズも大きい作品で、人集りができていました。ルノワールの描く人の表情ってなんだか優しいなぁと感じます。
今回の展示の中で次のような作品があります。
陽光のなかの裸婦 1876年
樹々の中に座っている裸婦の絵です。
「ふーん、そうかー。」といって終わりにしてしまいそうになりますが、この絵はただのおっぱいが見えてる女性の絵ではなくて、ちょっとした小話があります。
裸婦の体には木の陰が映されており、ところどころ木漏れ日によって顕になっている綺麗な肌の色が表現されています。
しかし、この画期的な表現は当時、木の影として表現されている体の青っぽい部分が"死体のように腐った肉の色"だと批評されたそうです。
当時の人達にとって、この色の表現の仕方は突拍子もなかったんだろうなぁと想像します。
ピアノを弾く少女たち 1892年
こちらの「ピアノを弾く少女たち」の絵もまた目玉作品の一つで、ルノワールの最も有名な絵画のひとつな作品です。
印象派ルノワールの表現としての、一つの終着点を感じるような作品です。
この作品をみると確かに柔らかい色づかいで優しい感じがしますが、全体的に、始めに挙げたような如何にも「印象派!」といったような、モヤモヤした感じではなく、輪郭もはっきりとしているのが分かります。
ルノワールは途中で「印象派の限界」を感じ、昔のラファエロの絵やポンペイの壁画など観て、デッサンを訓練し、表現の基本を学び直します。
印象派画家として培った色づかいと、ルネサンス時代や昔の絵から学んだ基本とが組み合わされて生まれたとても綺麗な作品なんだそうです。
そんなこんなで、歴史や背景的な見どころもあるルノワールの作品ですが、今回一番個人的に感動した作品をあげます。それがこれです。
《母性》あるいは《乳飲み子》(ルノワール夫人と息子ピエール)1885年
お乳をあげている女性は、ルノワール自身が生涯愛した奥さんです。そしてこの子どもは二人が授かった長男坊だそうです。
この女性は、今回の目玉作品でもある「田舎のダンス」で踊っている女性と同じ人です。
つまり時系列的には、この女性と出会い、「田舎のダンス」が描かれ、その後長男を授かって「母性」が描かれています。
この「母性」という作品は「ラファエロの聖母子像を現代の世俗的な情景に置き換えた作品」という位置づけらしいですが、その辺のことを一度さておいて、ここでは僕の感じたことを率直に書こうと思います。
この作品の前に立って見つめると、右下にはルノワールのサインが見えます。
この作品に限らずですが、絵画のすごいところは、このキャンバスの前に本当に本物のルノワール本人が向き合い、キャンバスに触れていたという事実です。
このキャンバスの手前にはルノワールが座り、その向こう側には奥さんと息子がいたということになります。
ルノワールは「悲しい絵を描かなかった唯一の偉大な画家」とも言われています。
ルノワールは次のような言葉を残しています。
”私にとって絵とは、好ましく、楽しく、きれいなもの…そう、きれいなものでなければいけないんだ!人生には不愉快なことがたくさんある。だからこれ以上、不愉快なものをつくる必要なんかないんだ。”
ルノワールの作品は、「ピアノを弾く少女たち」然り、「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」然り、幸福感に満ち溢れていますが、この作品もまた、奥さんと息子とともにしたであろう幸せな時間が想像できます。
また、ルノワールは、
"私が絵画を愛するのは、いかにも永遠という感じがするときさ"
と言っているそうです。
これは完全に僕の妄想ですが、この「母性」を描いた時、ルノワールはその幸せな一時の永遠を願ったのではないかなと思います。
あるいは彼にとって、この瞬間は”永遠のもの”であったのではないかなと思います。
かつてこのキャンバスに触れたルノワールと、そこにいた夫人、そして息子と、遥か遠く一万キロも離れた極東の地、平成の日本でこれを目の前にしている僕とが、まるでその瞬間を共有しているような気持ちになり、そんなことを想像していたら、「あぁ、この作品は、なんて幸せな一時なのだろう」となんだか胸があつくなってとても感動しました。
ルノワールは晩年になって彫刻にも手を出し始めるのですが、奥さんに先立たれた後、奥さんの胸像を制作しています。
そして、今回の展示にある胸像の奥さんは、この「母性」の絵を元に作られています。
この「母性」という絵はたぶん、代表作でもなんでもないのだと思いますが、ルノワールにとってはとても大事な”永遠”だったのではないかなと思います(僕の妄想です)。