世界から取り残される
"我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか"
まるで世界から取り残されたような気持ちになって、
ふと環状八号線を眺めたりして、
めまぐるしく動く人たちを見て、
夜の空ってこんなに深かったのかしら?
なんて思いながら、
自分がどこに向かっているのかも分からず、
なにを求めて彷徨っているのかさえも分からず、
ぬるま湯の中で目を閉じてるみたいな夜。
名前の知らない花の香りが
住宅街。夜道を歩いていると、やけに甘い香りがした。
気のせいだと思っていたらまたその甘い香りがしてきて、ふと脇に目をやると、塀一面に見慣れない花が咲いていた。
無数の小さくて白とか黄色の花が咲いていて、惜しげもなく香りを放っていた。
この花の名前を、通りかかる人のうち、何人くらいが知っているのだろう。
4月も終わりが近づいて、ソメイヨシノはとうの昔に散ってしまったけれど、僕が知らないだけで、世界は回り続けている
のかもしれない。
自分はこういう人間です、ってはっきりと言えなくないですか?
自分はこれこれこういう人間である、っていうのをはっきりと言えないのは、語彙力不足か会話下手のせいだと思っていたけど、
実際そういうわけでもないんじゃないかっていう気もしてきた。
これは僕の悪いところでもあるんだろうけど、僕にはあんまりルーティンというものがないんじゃないかということである。
何時に起きて起きたらまず何をして、とかこういうときにはこうするとか、あんまり決まっていないんじゃないかなって思う。
その都度考えて行動するし、もちろん決まってすることも(自覚以上に)あるんだろうけど、
比較的常に考えながら、変えながら生きているっていうことなんじゃないかなって気がした。
まぁ、僕はこういう、面倒くさい人間だっていうことは、今までもこれからも変わらなさそうである。
満開に咲く桜をみて
満開に咲く桜をみて
ただ散ることのみを思う
人と違って生きるということ
人と違うことをしたいと言う人ほど、実はまわりの人の影響を受けている。
本当に我が道を行く人ならば、それが人と違うかどうかさえ気にならないのだから。